びっくりトルコ大周遊10日間 12月14日 カッパドキア

   絨毯売り込みの布石と商人魂
    

  14日の朝は午前8時にバスはホテルを出発した。連泊なので荷物は持たなかった。まずギョレメの谷に向かった。バスがギョレメ野外博物館に到着した。だが門は閉まっていた。近くの見晴らしの良い場所で時間待ち臨時の写真タイムとなった。

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 ギョレメ野外博物館は洞窟住居を見学できる場所だった。改札を通り抜け坂道を上っていくと分かれ道に出た。右手にリンゴ教会、バルバラ教会、前に蛇の教会があった。順番に巡ってみた。いずれも9世紀頃イスラムの迫害から逃れるために洞窟に作られたキリスト教の教会だ。洞窟内の写真撮影は禁じられていた。

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 11世紀ごろ作られたという最も古い「リンゴ教会」は右下にあった。教会内に描かれた壁画は素朴で色彩も薄惚けていた。壁画のできを云々することははばかれる。迫害を避けてきた人々の手作りなのだから。

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 ついで右上にあるた「バルバラ教会」に入った。リンゴ教会より年代が新しいだけ壁画の色彩は鮮やかだった。

 最後に「蛇の教会」に入った。騎馬の武人が邪悪の象徴である蛇をやっつけている壁画が印象に残った。この教会は年代がさらに新しく、完成を見ることなく住人たちが移動してしまったという。

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 その後正面奥にある住居跡を見学した。狭い階段を手すりを頼りに上らねばならない。手すりの支柱の根元を見た。支柱の根元が錆びて宙に浮いていた。油断禁物だ。洞窟住居は既に人が住んでいるところを見ているのだが、部屋の大きさは大差ないように思われた。安全で、夏涼しく、冬温かい、部屋は重宝されたことであろう。難点は谷底から水を運び込むことであろうか。

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 ギョレメ野外博物館の見学が終わるとトルコ絨毯専門店に向かった。絨毯専門店に向かうバスの車内でシェームスさんがまた話し始めた。

 私の家はトルコ東部のバッドマンにあったのですが、家は貧しく母親が内職で作った絨毯を売って大学に進学させてくれました。人口8000人の町で大学に進学したのが3人で、そのうちの一人が自分でした。農家は貧しく冬場は仕事にならず、父親はイスタンブールなどの都会に出稼ぎに行っていました。トルコでは家計の財布は主人が握っていて、主婦はいつも我慢を強いられるのです。だから内職で作った絨毯が売れると多くの女性や子供たちが喜んでくれるのです。トルコと日本はお互いに助け合ってきました。いまトルコは皆様にご支援をお願いしたいと思ってください。もしお店でお買いになるのであれば私に一言言ってください。まけてもらえるようにお話します。シェームスさんから、現地女性の苦労話を聞かされ、すっかり同情する気持ちになったツアー客を載せ、バスは絨毯専門店に到着した。

 専門店に入ると左の部屋に通され、織子さんの作業を見せながら、絨毯を織る際の結び方について説明が始まった。英語では、シングル、ダブルノット、というのだが、一重結びと二重結びの区分というところだろうか。見学者の中から代表者が指名され、ダブルノットをやってみてください、と指示された。1回目はうまくできなかったが2回目には成功し拍手の音が聞こえた。ダブルノットで結ばれた糸は結び目を残し、ハサミで根本付近で刈り取られる。だからきめ細かい織物になるほど工数がかかり必然的に高くなるのだ。

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 説明が終わると広い部屋に通され、そこでチャイなどの飲み物が供された。飲み物を飲んでいる間に各種の絨毯が次々とお披露目され、素足でその感触を試すように促された。確かに「ヘレケ」というブランドの絨毯は硬くしっかりできており、4世代にわたって使えるという話は嘘ではなさそうだ。絨毯が投資目的で買われ、中古での販売も可能と説明されたが信じたくなるほどだ。日本の神戸に当社の絨毯の修理や輸送を担当する部門があり、売りたい場合は買い取ります、という説明を聞いて疑う気持ちが消え失せた。やばい!

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 展示と説明が終わると、お客のカップルごとに日本語の堪能な販売員が付き添って、個々のお客の要望を聞き始めた。もともと買う気はなかったのだから、もう構わないでください、というのだが、すっぽん並みに食い下がってきて、お好みの大きさは? どの絵柄がお好きですか? 買う買わないに関係なくお好きなものをおっしゃってください、と慇懃に重ねて言ってくるのだ。そして我々夫婦の前に次々に絨毯が広げられていった。我が家の居間は掘りごたつがあるのでそんな立派な絨毯を置く場所がない、と言っても引き下がってはくれない。

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 そのうち大部屋の一角で拍手の音が響き渡った。誰かが購入したらしい。販売員がさらに熱を込めて話してきた。時間を取らせるばかりだから構わないでください、といっても引き下がってはくれない。また拍手の音がした。10数枚は見せられたであろうか? 小刻みに続く拍手の音を聞くと、逃げ場がなくなりそうで、まずい、まずい、と思い始めた。

 すると一組の夫婦が営業員の手を離れ椅子に座りこんだ。早速こちらもと思うのだが、どっこい問屋は卸してくれない。大部屋から抜け出しても絨毯を持って追いかけてくるのだ。滞在時間は1時間半の予定なのだが、シェームスさんは商談がまとまるまで出発する気がなさそうに思えた。

 一行は18名、単身組を含めると11組くらいになる。推測だがその7割くらいの組が買ったようだ。もう頃合いと思ったのか、販売員の顔にあきらめの表情が浮かんだ。ラッキー! バスは私たちの絨毯を買わなかった肩身の狭い思いと、販売員に迷惑をかけた思いを乗せて昼食会場に向かった。

 昼食は洞窟レストランでマスを食べることができた。野菜サラダ付きなのだが美味しいドレッシングが欲しいと感じた。

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 昼食をを終えると陶器の専門店に案内された。まずろくろを使って粘土から茶器が作られるところが展示された。そして陶器店の先生とその弟子による作品が並ぶお店の中に通された。鮮やかな色彩の陶器が所狭しと並んでいた。

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 順番に見ているうちに3万円くらいの花柄の飾り皿が目に留まった。すかさず若い販売員が日本語で、日本円だと2万円まで値下げできますよ、と耳のそばでささやいた。まだ心は定まらない。目の保養をしていると、トルコブルーが際立つ花柄の絵皿が目に留まった。すかさず、20%おまけします、という声がした。後で気が付いたのだが、正札には物品税がかかった価格が表示されており、免税部分が値引きされているに過ぎないようなのだ。でも20%値引きと聞くと心が揺れる。決めかねていると、6万円の絵皿が5万円になり、4万円にまで値が下がってきた。販売員とのやり取りが長くなったと見たシェームスさんが、この絵皿はお買い得ですよ、と口添えした。そして、先ほどの絵皿と合わせて5万5千円でいかがですか? と提案した。彼の熱意に応えて絨毯を買わなかったという負い目があった。でもまだ買うには少しの迷いがあった。そこで最後の抵抗で日本円で買った場合おつりは出ますか? と確認した。すると即座に、大丈夫です、との返事。で買うことになってしまった。得したような損をしたような気分が残った。

 バスに乗車すると一人客の一人がぽつりと言った。「先ほど40万円の絨毯を買った人がここでは80万円の陶器を買ったんですね。お金のある人がいるもんですね」と。10万円の格安ツアーにはアンバランスな人であるのには間違いない。

 一行を乗せたバスは1961年に発見された地下都市に向かった。洞窟の出入り口前には土産物屋が並んで客引きをしている。でもしつこくはない。地下都市はトンネルで地下5階まで訪れることができる。シェームスさんのお奨めでマスクしてLEDライトを持参した。

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 BC16世紀以前には何もなかったようなのだが、外敵の侵入から身を守るために地下都市が建設され、地下のトンネルを通じて多くの地下都市が連結されていった。もしある場所で地下都市の存在がばれても地下都市のトンネルには岩でできた扉が設けられ、外敵が他の地下都市からトンネルを通じて攻めてきたときに閉じられる仕組みになっていた。

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 トンネル内の通路は人の肩幅ほどの広さで、床から天井までの高さは中腰でやっと歩ける高さになっている。簡単に言えば人ひとりが膝を折り曲げ通れる状況になっているのだ。とても刀を振り回せる空間はなく、居心地はともかく、攻めにくくて守りやすい地下都市、になっていた。

 各フロアーには調理場、教会、ワイン製造所などがあり、水がめが設けられ、換気口にトイレや死者を一時保管する場所まで設けられているという。埃っぽい道を地下5階まで歩いており、そこから地上まで歩くと汗をかき、やれやれの気持ちになっていた。

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 人間は自分の身を守るためには何でもやるのだと改めて思い知らされた。大事なのは生きることに真剣にならねばならないということのようである。

 その後4人なのに3姉妹という名の岩、そしてラクダの岩、キノコの岩を見学して3日目の行事は終わりを迎えた。

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      びっくりツアーでびっくりしたこと

 食事に向かう前にバスルームのシャワーと蛇口から同時にお湯が出るというので確認したら、服を着ているのに頭からシャワーを浴びてしまった。修理に駆けつけてくれた従業員が、修理できた、というので、再度バスタブにお湯を注ぐと頭からシャワーを浴びてしまいびっくり。食事の間に直してもらうことにした。

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 15日の夕食はまたもやバイキングだった。ワインばかり飲んでいたのでこの日はビール(ビラ)を注文した。出てきたビラは小瓶で物足りなく感じたが我慢することにした。夕食後テーブルを囲んだ人たちがこのツアーについて語り始めた。


 最初ドーハで乗り換えるときに、「ドーハに定時到着、1時間後に定時で出発できたのにはびっくりしました」と旅慣れたKさんが言った。Kさんに娘さんが2人、息子さんが1人いる。長女が結婚し男のお孫さんが1人いるという。

 次にKNさんが、「実はお隣にいるSさんの奥さんとは小学校が同じだったんですよ。奥さんの方がひとつ先輩ですがね」と皆に紹介した。年の数は聞かなかったがお互いに古希前のようだ。

 するとSさんが私に年齢を訊いてきた。「今年古希を祝ってスペインのフランス人の道を自転車で走ってきました。で、今は71歳です」と紹介した。するとSさんが、「私の方が一つ年上のようですね。私は会社でエンジニアとして働いてきました。いま港区に住んでいます」と自己紹介した。

 同席者からどちらへお住まいですか?という質問が飛ぶと、Kさんが、「私は茨城のつくば市に住んでいますよ」と応じた。すると私の連れ合いが、「私たちは土浦の阿見町というところに住んでいましたから、洞峰公園などよく知っていますよ」と応じた。「で、今はどちらにお住まいですか?」と訊かれたので連れ合いが、「品川区の中延というところに住んでいます」と応じた。するとSさんが、「私は荏原町で育ったんですよ。実家は弟が継ぎ荏原駅の前でお茶屋さんをやっています」と言う。今度は連れ合いが、「そのお茶屋さん、私、良く知っていますよ。その商店街にはたびたび買い物に行っていて、お茶屋さんのお向かいの文房具店の女の子が高校の同級生でした」と話した。同席者一同その奇遇ぶりにびっくり。

 するとSさんの奥さんの後輩であるKNさんが、Sさんの奥さんが高額な絨毯と陶器を買い込んだ人ですよ、と皆に報告した。絨毯と陶器を合わせると120万円を超えるらしい。(彼女の買い物意欲は半端なく翌日以降皮のジャケットを2枚とトルコ石の飾り物を買い求めた)噂のお金持ちはこの人だったのかとびっくり。

 私が、「家は狭いし断捨離しているので買うのに躊躇しますよ」と言うと、田町に書道のアトリエを持っているというSさんの奥さんが、「私は生きているうちに好きなことをすることに決めているんです。主人はいつも黙って許してくれます」と人のよさそうなご主人に作り笑顔を振り向けた。奥様のマイペースぶりに苦笑いしているSさんが、「私は会社勤務時代には技術的な仕事をしていました。今でも海外の仕事をやっています」と言ったが、人品骨柄からして相当な地位まで上り詰めた方のように思われた。

 誰ともなく、今回のツアーの旅のしおりには、バスタブなしのシャワーのみの部屋になる、と出ていたけど今までは全部バスタブが付いていてびっくりしました、という声が出た。確かにお風呂は文句ない状態だった。普通のホテル、普通の食事がついて10万円という破格のお値段だ。びっくりトルコ大周遊というネーミングに相応しい内容だった。トルコ政府からインバンド消費を狙った補助金が出ているに違いない、と誰もが思った。

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アンカラのホテル


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 話題がガイドのシェームスさんに移った。

 旅行が始まると間もなくシェームスさんが、ピスタチオの入ったチョコボーのようなお菓子を紹介し試食させてくれた。そして移動のバスの中でトルコの農村は疲弊していると嘆き、貧しい農家のご主人は冬場にイスタンブールなどに出稼ぎにいき、留守を奥さんたちが守っています。奥さんたちは内職で絨毯を織り、その絨毯の売り上げで生活を支えているのです。私は母親の作ってくれた絨毯のお陰で大学に進学することができました。絨毯を作る職人の数は3万人から1万2千人まで減っています。政府は伝統工芸を残そうと今販売奨励策を講じています。絨毯を売るとき値下げした場合値下げ分を政府が補填してくれるシステムになっています。そしてイラク・イラン戦争のときに在テヘラン日本人の避難に、トルコ大統領の命令でトルコ航空が支援した話をビデオで紹介した。日本とトルコにはお礼の文化がございます。また大変親しい仲です。困ったときには助け合う精神がございます。どうか協力してください、と訴えながら、買うときには私に相談してください、と念押しするのを忘れなかった。この伏線が功を奏したのか一行の7割が数十万円の絨毯を買い込む流れが出来上がっていった。シェームスさんの仕込みの巧みさに一同びっくり。

 高額の絨毯が予想以上に売れたからなのだろうか。バスがドライブインに停まると個人的にチャイという紅茶を皆にごちそうしてくれたり、美味しいビーフジャーキを停車時に買い込み試食させてくれたり、自ら選んだ美味しいザクロの生ジュースをペットボトル2本分を買い込みバスの中で試飲させてくれた。(サービスは翌日以降も続くことになる)こんなにサービスがいいのはキックバックがあったに違いない。一部の人は心の中でそう思ったことであろう。彼のトルコを思う熱さとそのサービス精神にびっくりだった。

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 今朝の朝食時、持ってきたはずのウェストポーチがないと私が慌てる一幕があった。ボーイさんに確認したり、フロントに届けが出ていないか、と確認したり、同席したKさん夫婦が探すのを手伝ってくれた。何のことはない。単にベッドの上に置き忘れただけだった。己のボケ具合にびっくりさせられた。

 トルコ入国時SIMカードを買い損ねたのでホテルのWI-FI環境でスマホを使用した。すると日本の検索サイトが使えず動画の受信はほぼ不可能だった。使えても下りの速度が極端に遅いのだ。トルコの通信インフラの悪さにびっくりした。

 前日夕食の席でKさんが、「息子がスペインの巡礼の道を歩き、今でもその時に知り合った人たちと付き合っているんですよ」と紹介した。「実は私も巡礼の道を自転車で走ったんですよ」と応じると、「息子に今回のことを話さなくちゃ」と喜んでくれた。翌朝バスに乗車すると「巡礼の道」が話題に上がった。「私も巡礼の道の前後を歩きました。真ん中はバスで動きましたけど」と一人旅の後期高齢者Hさんが仲間入りした。すると前の席に座っていたN姉妹の妹さんの方が、「私も歩きたいと思っているのですが、姉が嫌がっているので実現できないんですよ」と言うではないか。イッツ、ア、スモール、ワールド。世間の狭さにまたまたびっくり。

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