びっくりトルコ大周遊10日間 12月17日 アイワルクからイスタンブールまで

   トロイ観光

 我々を乗せたバスはアイワルクのホテルを0730に出発した。トロイまで約150キロのバスの旅だ。 ツアー客の退屈しのぎのためか、またシェームスさんのトルコの紹介が始まった。

「トルコの仕事の時間は午前中は8時から12時まで、午後は13時から17時までになっています。労働時間は1日8時間なのですが、残業がしょっちゅうあります。でも日本と違って残業の割り増し金はなく残業代はでません。

 トルコ人は朝食を食べるより寝ている方が好きなんですね。ツーことで朝食はトーツーでパンなどを買って職場のコーヒーを飲みながらすまします。

 トルコ人は魚が大好きです。でも高くてなかなか食べられません。日本人は1年間に53キログラムの魚を食べますが、トルコ人は720グラムしか食べていません。イスタンブールのシーフードレストランで魚料理を食べたことがありますが、3人で2万7千円かかりました。(日本並みの価格だがトルコ人の平均年収が90万円ということを考えると割高になることは間違いない)

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 イスタンブールに住む場合、85平方メートルの家賃が16万円から17万円します。トルコの人口の20%がイスタンブールで生活しています。1600万人が生活しているのですから犯罪も起きやすくなります。犯罪者の多くはシリアから入国した人々です。ツーことでトルコ人がシリアの難民には早く帰国して欲しいと希望していると思ってください」

 車窓にはコンヤ平原と違って日本のような山あり平地ありの景色が続く。

「間もなくトロイに着きます。トロイという町ができるきっかけは、ギリシャ神話に出てくるトロースの子イロスが王様から牛を貰い『その牛が横になったところに都市を築きなさい』と指示されたことによります。イロスがその牛の後についていくと、牛はアテという丘で横になりました。そこでイロスはそこに町を作りイロス名づけ、イロスという名前がトロイになったと言われています。

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 トロイという場所は陸路の交通の要になっていました。トルコは三方を、黒海、マルマラ海、エーゲ海に囲まれています。トロイという都市はマルマラ海からエーゲ海に通じるダーダネルス海峡を通る船から通行料をとっていました。

 トロイは火災の被害を受けます。第1回目は4500年~5000年前で、第2回目が2500年~2300年頃と思ってください。

 トロイでは地震がしばしば起きました。地震で町が破壊されると破壊された町の上に新しく町を作りました。ツーことで第2から第8の町まで破壊された町の上に再建を繰り返したので現在は丘の上にある町になっています。

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古い石垣は風化により摩滅し上りやすくなっている


 城壁は外部と内部に築かれていました。映画などではトロイが戦うことになった原因はトロイの王子がギリシャ王の妻ヘレン女王をトロイに持ち去ったのがきっかけのように言われていますが、トロイの漁業を巡る海上覇権もあったのです。

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 ギリシャ軍は大勢でトロイを攻め立てましたが、10年間陥落しませんでした。そこでギリシャ王はアテナに知恵を借り、和平の印として兵士を隠した木馬をトロイに贈り、ギリシャ軍を安心させるために軍隊を撤退させ島影に隠しました。トロイ軍は平和になったと酒盛りをします。兵隊たちが眠った深夜にトロイの木馬から出てきた兵士が城門を開けギリシャ軍を招き入れたのです。するとアッという間にトロイ軍は壊滅してしまいました。トロイ軍は負けたのですが、負けたトロイ軍が後にローマを建設しています。

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 トロイの遺跡が発見されるきっかけとなったのはドイツ人シュリーマンの宝探しでした。1868年にシュリーマンはトルコに渡り4500年前の壁を発見したのです。もちろん宝も見つけました。発見時宝を全部ドイツに持って帰りましたが、後にトルコと折半することになりました。

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 ドイツからトルコまで車で6~7時間でやって来られます。ですからドイツ人の観光客も結構来ています。トルコは繊維が優れていますが、特にガサ織りは軽くて良いですよ」

 ここからまた結婚の話なっていった。

「イスラム教では子供を持つことが義務となっています。(日本にも導入したい)イスラム教の女性は異教の男性とは結婚できません。逆にイスラム教の男性は異教の女性と結婚できることになっています。『ゆりかごの結婚』という言葉があります。小さい頃に親が決めた結婚のことを意味します。でも最近はそういうことはなくなりました。

 結婚には大変な結納金がかかります。ツーことでお金がなくて結婚できない男性が多くいます。離婚する場合には多額の慰謝料を払わなければなりません。ですから離婚率は低い状況です。トルコは法的には一夫一婦制になりました。でも戦争で亡くなった兵士の奥さんたちのお世話をする習慣が残っており、余裕のある人たちには自由があります。イスラム教は妻となる女性を等しく愛することと決めているのです。何から何まで同じにしてやることが求められます。ツーことで現実的には一夫一婦制が普通のことになっています。

 トロイには城壁が築かれました。当初は平らな岩で登れないように作られていましたが、長年の風雨により今では簡単に登れる凸凹状態になっています。また城壁や家は何度も地震で倒壊しました。ツーことで地震に強いツーことでワラなどを練り込んだ日干しレンガが多く用いられています」(この説明に本当に柔構造にできたのか疑問が残った)

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 遺跡を一周しトロイの木馬の前で記念写真を撮り、バスに乗りチャナッカレのフェリー乗り場へ移動した。


   フェリーでダーダネルス海峡を渡りイスタンブールへ

 正午過ぎにバスに乗ったままフェリーに乗船。雨の中のダーダネルス海峡に船出した。雨が降っていたので大半の時間をキャビンで過ごした。

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 のどが渇いてきたのでメニューを確認した。するとチャイが1リラと出ていたので、2リラを見せながら、「イキ チャイ」とチャイ2個を頼んだ。するとチャイが1個だけ出てきた。だまされた気がした。席に戻って壁に掛かっているメニューを見た。するとチャイには1リラと2リラの2種類があり、2個のチャイと頼んだつもりだったが、船員が2リラのチャイを頼んだのだと理解したようなのだ。にわか仕込みのトルコ語ではチャイさえ満足に買えなかったのだ。

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 座っている席の近くにKさんがいた。Kさんがコーヒーを二つ頼んだ。するとピーナッツのおまけが付いてきて20リラを要求された。メニューを見るとカプチーノの値段が6リラだからピーナッツが8リラに相当する。お釣りを出さないように頼まれもしないのにおまけをつけてくれたようなのだ。トルコ人は商売人だった。

 ダーダネルス海峡を渡り上陸するともうヨーロッパ大陸だ。昼食を済ませると一路イスタンブールに向かって走り続けた。

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 途中ギリシャに向かう道路と交差した。左の方向に約20キロ先まで平原が続いており、ギリシャ側から攻められた場合ダーダネルス海峡まで撤退を強いられることがよく理解できた。このためギリシャとトルコの国境はさらに西側にある緩やかな丘の麓になっている。国境線の引かれ方から国境交渉においてトルコ側が不利な情勢で妥協を強いられたことが推測された。

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 イスタンブールに近づくと渋滞が激しくなった。またスモッグが上空を覆うようになり大気汚染が健在であることが確認できた。レストランで夕食を摂り、エレシンホテルトプカプに着くとホッとした。明日も天気が悪いので夕刻に予定していたボスポラス海峡クルーズを明日の朝からやることが伝えられた。

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