びっくりトルコ大周遊10日間 12月19日 イスタンブール市内観光

   雨のイスタンブール

 この日は0930といつもより遅くホテルを出発した。もちろん帰国のための荷造りを終えてからの話だ。小雨の中バスはトプカプ宮殿に向かった。

 トプカプ宮殿はイスタンブール旧市街地が存在する半島の先端部分、ボスポラス海峡と金角湾を見下ろす位置に作られている。面積は世界の中で一番広く56万平方キロメートルという。だが見学者はその5%~10%程度しか見ることができない。

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 この宮殿を作ったのはイスタンブールを陥落させたメフメット2世で、1460年代に現在の場所に着工したものである。全盛時は4500人の給仕がいたというから驚きだ。彼らは、国王、女王、ハレムにいる若き女性たちに仕えていた。宮殿は大きくは4つの区画に分かれている。

 入場券で入る門が第1の門で、次が第2の門、通称「大砲の門」といわれる。大砲の門はかって門の両サイドに火砲が置かれていたからだ。だが今回は確認することができなかった。

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 大砲の門をくぐり抜けると、そこは広い庭となっている。右手に厨房が、左手に武器資料館が見える。正面の門を入り左に行くとそこがハーレムの入り口になっていた。

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 ハーレムは江戸時代の大奥のような機能があり、国王のお母さん国母が若き女性の教育を担当し、気に入った女性を国王に差し出したというのだ。国王は母親の言いなりであるから、国母の権力は絶大となって大奥、ハーレムを取り仕切ることになる。日本では芸者の置屋が、芸者に文字を教え芸事を学ばせたといわれるから同じように思えるところが面白い。

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 ハーレムの中で国王が座る場所、若き女性たちが座る場所を見ることができた。予想したほどの豪華さはなく、広い部屋に中くらいの大きさの暖炉が見られ、冬の寒さが心配になるくらいで想像より質素な印象を受けた。

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 男は8歳から12歳のは宮殿に住むことはできなかった。男性の役割は去勢された黒人が果たしたという。中国の宮廷に勤務した宦官に似ているが、この宮殿ではあくまで下働きだったのだろう。

 謁見の間は国王が表敬に応ずる人たちから挨拶を受ける場所だ。ガラス越しに見る中国の迎賓楼のような華やかさはない。さらに奥に向かうと庭園がありボスポラス海峡を眺めることができた。

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 戻って厨房に入ってみた。食器類にフランス、ドイツ、中国のものが見られた。これも中国かなと確認すると伊万里焼であった。嬉しくて写真を撮ろうとすると警備員に注意されてしまった。

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 後のことがあるのでトイレを済まし、集合時間を気にしながら武器資料館に入った。武器資料館は主として刀剣と鎧が展示されていた。金ぴかの鎧や刀に宝石がしこまれているものなどがあり楽しむことができた。特に口の部分以外を鎖や宝飾で覆った鎧を見て、こんな軍装では兵士の気力をそぎ、戦いに負けることになろうと推測された。事実そうなるのであるが。

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 本物の86カラットのダイヤがあると聞いていたが、今回は見ることができなかった。残念でした。

 第1の門を出てバスの到着を待っていると、イスラムの女子学生一行が前を通過した。ツアー客の中から、若い子はみなほっそりしているのに結婚すると何でビヤ樽のように太るだろうね、という声がした。

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 イスラムの女性には家を守ることが義務づけられており、外出を控え肌を露出して運動することができない。そういう背景を知ってあげることが必要な気がした。

 バスに乗るとガラタ橋と第1ボスポラス海峡橋を渡ってアジアサイドに行き、坂道を下ってウスキュダル港に向かった。ウスキュダル港近くに着くとバスを降り、地下鉄カラキョイ駅に向かった。歩いて数分の距離だった。

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 シェームスさんが買ってくれているカードで入場し乗車した。ロンドンに次いで世界で2番目に古い地下鉄だが、上り坂に設けられたものだ。その短さに驚いた。あっというまに終着駅に着くのだ。昔はケーブルカーだったというが今ではケーブルはなく、自力で登れるようだ。一般客は駅を降りると路面電車のトラムに乗り換えることになる。不便なので、何故相互乗り入れしないのですか? とシェームスさんに訊くと、ここはトルコです、と少し冷たく感じる声音が戻ってきた。日本と比較されたのが気に障ったのであろうか?

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 雨の中スケジュールに従いウスキュダルの町を散策することになった。だが、雨、風が強いので大半の人が喫茶店などに逃げ込んだのだった。

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 集合場所で最後の人を待っている間に誰かが露店からゴマのかかったパンを買い求めた。最後尾がなかなか来ないのもあって次々とパンが売れていく。雨の中お店の人は予期せぬ売り上げにほっこりしたことであろう。

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 昼食を終えるとチャムルジャの丘に向かった。バスは曲がりくねった道を上る。丘の上は強風が吹き荒れていた。傘が風に煽られ逆さ漏斗になってしまう。ここからヨーロッパサイドがきれいに見えるはずなのだが、風雨のお陰で遠くがかすみ展望台の役割を果たせない状況であった。写真を数枚とると急いで退散した。休憩場所ではトイレに入るのが義務になっていた。ここのお店のトイレ代は2リラで、きれいな女性従業員がトイレへの通路で待ち構えていた。

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 昼食を済ますと再びバスに乗り旧市街に戻った。エジプシャンバザールの近くのショッピングセンター、つまりスーパーマーケットで買い物をすることになった。個人的には手持ちのリラを使い果たすのが目的になった。お店の人が勧めてくれたトルコ産のワインと店頭で一番高かったフランス産のワインを買い求めた。合わせて5千円弱の買い物であった。

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 集合時間まで時間があったので2階にある喫茶店に入りトルコ・コーヒーを注文した。するとなかなか出てこない。トルコ・コーヒーはお水から煎じるので時間がかかるのだ。残り時間が15分を切った。シェームスさんが近くにいたので急ぐようにお願いした。するとコーヒーに豆菓子のようなチョコレートが付いてきた。飲んでみると濃い味でなかなかいける。熱いのを我慢し飲み干して2人分で17リラ(450円?)、チップ1リラを残して席をあとにした。

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 サビハ・ギョチェン国際空港までかかる時間は渋滞によって左右されるという。バスは4時半頃にショッピングセンターを出発した。サビハ・ギョクチェンという名前はトルコ空軍の最初の女性パイロットの名前だという。メインのアタチュルク国際空港はヨーロッパサイドにあり、サビハ・ギョクチェン国際空港はアジアサイドにある。

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 バスの中でシェームスさんが旅を振り返ってくれた。聞いているうちにトイレ休憩の時間が何度も出てくるのだ。そういえばこの旅で何度も聞いた単語は、「トルコ」と「トイレ」であったような気がした。すべての行程とトイレの休憩時間まで間違いなく振り返られるシェームスさんはただ者ではない。

 トルコの言葉が何度も繰り返されるのはシェームスさんの愛国心のあらわれであり、トイレのそれは我々ツアー客が高齢化しているシンボルのような気がした。

 空港には午後6時頃到着した。チェックインが午後9時からだから時間をもてあまし、アルコールの含有量が8%と7.5%の500CCの缶ビールを飲み干した。

 出国手続きはスムーズにいき、予定通りダカール航空QR238便に乗り、ドーハで乗り継ぎ時間が1時間40分あったが、これも定刻で出発することができた。カタール航空、恐るべし。

 12月20日午後10時30分に到着する予定だったが、予定より30分近く早く羽田国際空港に到着した。入国審査はパスポートをカメラの下にある窓にかざし、鏡のような画面を見れば審査完了となる。入国の日付がパスポートに残らないのが多少気になるが、トルコの出国日はパスポートに残るので無用な心配かと納得したのであった。


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